2007年09月27日

Mini 1960年代

220px-Mini_Cooper_S_1964.jpgMiniは最初 ADO15(ADO は Austin Design Office を表す)というプロジェクト名で呼ばれ、最初のモデルはオースチン・セブン(しばしばSE7ENと表記される)及びモーリス・ミニ・マイナーのブランド名でイギリスで発売された。「セブン」は、戦前、大成功を収めたオースチンの大衆車にあやかったもので、「マイナー」は、「ミニ」とかけた「洒落」であるという。1962年までには北アメリカとフランスでもオースチン850、モーリス850の名前で発売された。
Miniのサスペンションスプリングには、一般的な金属ばねではなく、当時、ばねの先端素材として注目されていた、ゴムを使っている。ゴムメーカであるダンロップ社の技術者アレックス・モールトンの設計による、円錐状に成型されたゴムばねを用いたラバー・コーン・サスペンションである。このばねは強いプログレッシブ・レートを持ち、最小のストロークで最大のエネルギ吸収量を得る様に設計されている。この強いプログレッシブ・レートを持つばねや、フロントが高くリヤが路面上にあるという特殊なロールセンタ設定のサスペンション、量産車としては今日の基準でも驚異的に速いステアリング・オーバーオール・レシオや回転慣性モーメントが小さくジャイロ・スコピックが弱い10インチのタイヤなどによって、Miniのゴーカートのようなハンドリングが生まれた。
設計者イシゴニスの友人で、1959年と1960年のF1のコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたクーパー・カー・カンパニーの経営者ジョン・クーパーは、当時英国内のサルーンカーレースにトライアンフで参加していたが、ライバルであるロータス車の次元の違うハンドリングに太刀打ち出来ずにいた。この時イシゴニスにMiniの試作車を見せられ、その驚異的なハンドリングに注目、何回かの実験とテスト走行の後、イシゴニスと共同で、機敏で経済的で、しかも安価な車を作ることを決意した。その成果として、1962年にADO50 、「オースチン・ミニ・クーパー」と、「モーリス・ミニ・クーパーが誕生した。
オリジナルのモーリス・ミニ・マイナーに搭載されていた848ccのエンジンは、997ccまで排気量が増やされ、馬力も34馬力から55馬力に高められた。このエンジンにはレース向けのチューニングが施され、当時小型車には馴染みのなかったSU ツイン・キャブレターとディスクブレーキが装備された。経営陣はこのモデルの生産を決め、1,000台を発注した。これは、経営陣が参加を目指していた、世界ラリー選手権 (WRC) の、当時のグループ2規定の生産義務台数をクリアするためであった。1964年、997ccのエンジンが、よりストロークの短い998ccのモデルに変更された。これ以降、1967年にクーパーモデルの生産が終了するまでに計12,274台の「クーパー」が販売された。1963年にはよりパワフルな「クーパーS」モデルが相前後して開発、生産された。
「クーパーS」は1071ccのエンジンと、より大型のディスクブレーキを特徴とし、1964年8月のモデルチェンジまでに計4,030台が生産、販売された。当初A型エンジンの排気量UPは1071ccが限界と見られていたが、ダウントン社のダニエル・リッチモンドがボア・ピッチをずらして1275ccまで拡大する手法を考案、イシゴニス、クーパー、リッチモンドの歴史的な3者会談により、量産型の1275クーパーSの計画がスタートした。量産に際して、サーキット・レースのクラス分けに合致した970ccと1275ccの2つのモデルを新たに追加、970ccモデルはあまり売れず、963台が生産された後1965年に生産終了となったが、1275ccの「クーパーS」は40,000台以上が生産され、1971年に生産終了となった。
1964年にハイエンドモデルのサスペンションは、内部にオリフィスと空洞を持つゴムばねを、前後輪でパイプで連通し不凍液を満たしたハイドロラスティック(Hydro=水とErastic=ゴムの合成語)システムに変更された。この新しいサスペンションは柔らかな乗り心地で「魔法の絨毯」とも喩えられていたが、重量と生産コストが余計にかかり、またピッチングの制御が難しくセッティングの幅も狭いなど問題もあり、Mk III前期を最後に元のラバー・コーンサスペンションに戻された。
Miniは映画やミュージシャンなどを通じて、1960年代の大衆文化の中にその存在を焼き付けた。ビートルズのメンバーや、イギリス女王、エリザベス2世も Mini のオーナーだった。
ミニ・クーパーは1964年、1965年、1967年のモンテカルロ・ラリーで総合優勝している(なお、1966年に関しては、ゴール時の成績は優勝相当であったが、補助灯のレギュレーション違反ということで失格となっている。)。
1960年代の Mini の売り上げは全モデルで好調であったが、生産メーカーにはほとんど利益をもたらさなかった。競合他社との競争に勝つために、製造原価を割り込む価格で販売することを余儀なくされたためである。
posted by piropiro at 07:57| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ADOは“Austin Drawing Office"の略だと思いましたが?
Posted by たけさ at 2007年09月28日 09:45
はじめまして
よくこれだけの記事をまとめられましたね。
ミニの事がよくわかります。
Posted by super76 at 2008年03月02日 20:32
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Tracked: 2007-09-27 09:44
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